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藤田嗣治と平野政吉の友情そのものが秋田の財産、その証である現県立美術館(平野政吉美術館)

藤田嗣治と平野政吉の友情そのものが秋田の財産、その証である現県立美術館(平野政吉美術館) … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 6

 藤田嗣治は、1913年(大正2年)6月、フランスに渡り、独自の画風を切り開き、ヨーロッパ画壇で高く評価され、成功を収め、1929年(昭和4年)9月、17年ぶりに帰国を果たした。藤田嗣治と平野政吉は、1934年(昭和9年)上野の二科展の会場で初めて出会い、藤田の作品と藤田の圧倒的な自信を目の当たりにした平野は、強い衝撃を受け、それ以後、平野は藤田作品の熱心なコレクターになり、交友を重ねていった。この二人の友情が一層深まったのは、藤田の妻、マドレーヌが日本で急死した際、平野政吉が……… [続きはこちら]

P1010446 藤田嗣治(セピア)-2
藤 田 嗣 治 の 像

P1010451 平野政吉(セピア)
平 野 政 吉 の 像



「平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史」
平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史1~6[平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史1~6はこちら]







藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

(参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

(2015年9月)



新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

以前より展示室が狭くなった。
「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
階上の左右から見ることが出来なくなった。
照明の照り返しがきつい。
2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

などの声が上がっています。
(2014年2月)




 「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
(2013年8月31日)



 秋田県は、現秋田県立美術館(平野政吉美術館)を6月末日までで閉館にし、大壁画「秋田の行事」などの藤田嗣治作品を、昨年完成の新秋田県立美術館に移すとしています。
 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)を閉館することは、藤田嗣治と平野政吉の交友の歴史を閉じることと同じです。
 また、現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、藤田嗣治の数々の助言を採り入れ完成しています。
 藤田嗣治と平野政吉の交友の歴史、二人が残した文化を、後世の美術を愛好する人々、美術を志す若者、藤田嗣治ファンに伝えるためにも、現秋田県立美術館(平野政吉美術館)を閉館すべきではありません。
 心ある皆様、秋田県に、「秋田の行事」、藤田嗣治作品の移転を止め、現秋田県立美術館(平野政吉美術館)を閉館しないよう、訴えてください。
(2013年5月15日)



 秋田県立美術館・平野政吉美術館が閉館になれば、レオナール・フジタ(藤田嗣治)が教示した「秋田の行事」の最も良い展示の姿が見られなくなってしまうことになります。

 これは、美術愛好家、藤田嗣治ファン、美術を学ぶ若者たち、秋田県、秋田県民にとっても大きな損失です。

 ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような広い空間で観ることを提案し、美術館の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えるべきです。
(2013年5月15日)



お薦め記事
藤田嗣治の壁画「秋田の行事」が描かれた時代の背景 ~ 一体感を持つ「平野政吉美術館」
レオナール・フジタ(藤田嗣治)に大壁画「秋田の行事」を描かせた、秋田の傑人・平野政吉


関連記事
秋田県立美術館(平野政吉美術館)の閉館、大壁画「秋田の行事」展示室の閉鎖及び「秋田の行事」、藤田嗣治作品の移転について




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平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史

 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、藤田嗣治と平野政吉の永い交友の歴史の末に建てられた美術館です。二人の数々のエピソードを今に伝える貴重な証でもあります。
 また、この現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、美術品収集に生涯を懸け、藤田嗣治(レオナール・フジタ)作品を始めとした貴重な美術品を残してくれた平野政吉の最後の業績でもあります。



「平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史」
平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史1~5[平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史1~5はこちら]



平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 1 … 出会い 明治28年(1895年)、秋田市大町で江戸時代から続く米穀商の家に生まれた平野政吉は、若い頃、我が国航空界の黎明期に飛行機の操縦に没頭、操縦中に東京湾に墜落し、九死に一生を得るなど、破天荒な人物であったことが知られているが、経済的に恵まれ、十代の頃から美術品を収集していた。[続きはこちら]

美術館建設宣言と「眠れる女」… 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 2 昭和11年(1936年)3月、藤田は外務省の依頼を受けた、映画「現代日本」の総監督として秋田を訪れた。前年の夏に旅行で秋田を訪れていたが、この時は、日本を欧米に紹介する目的で製作された映画の撮影で秋田にやって来たのだった。[続きはこちら]

大壁画「秋田の行事」誕生、美術館の壁画に … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 3 昭和11年3月の秋田訪問の際、藤田は歓迎会の席の挨拶で「世界第一の芸術家、大日本帝国・藤田嗣治の名において、1923年(大正12年)、バチカン宮殿で、ローマ法王に謁見たまわった。エリゼ宮で、フランス大統領にも勲章をもらい、ベルギー皇帝からも栄誉を授かったのであります」[続きはこちら]

18年ぶりの再会、念願の美術館建設の実現 … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 4 1966年(昭和41年)5月、平野政吉は藤田嗣治(レオナール・フジタ)に会うため、パリ郊外のヴィリエ・ル・バークルにある藤田の家に向かっていた。美術館建設の報告のためであった。 藤田がフランスに戻る前年の1948年(昭和23年)に会って以来、18年ぶりの再会に二人は固く握手をした。[続きはこちら]

最後の作品「平和の聖母礼拝堂」、永遠の別れ、永遠の友情 … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 5 1966年(昭和41年)、レオナール・フジタ(藤田嗣治)は自らの画業の集大成として、フランス、ランスの「平和の聖母礼拝堂」の制作に取り組んでいた。フジタは建物の設計、壁画、ステンドグラス、庭石の配置、彫刻などを自らの手で制作した。[続きはこちら]

[参考リンク]
◇平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について 「私と別れ際、藤田は『美術館の屋根は、ランス礼拝堂のような採光の形式にしてくれ』と注文をつけた。私は、それを忠実に守った。平野美術館の特徴ある丸窓は、このためだ。藤田は、スケッチをくれた。これが最後の対面となった。」[続きはこちら]

◇平野政吉の業績 … 平野コレクションと美術館 平野政吉は10代の頃から93歳で亡くなるまで生涯をかけ、その財力の全てを費やし、卓越した審美眼で美術品を収集し続けた。そのうち財団法人平野政吉美術館に寄贈された作品は601点で、藤田嗣治作品は101点である。[続きはこちら] 

藤田嗣治が助言した平野政吉美術館の採光 1968年2月、パリに一人の日本人が訪れた。日本古来の伝統的な紋付羽織袴姿で訪れたその人こそ、秋田からレオナール・フジタ(藤田嗣治)の葬儀に参列するためにやってきた平野政吉であった。フジタの葬儀はランスのノートルダム大聖堂で盛大に執り行われた。[続きを読む]

平野政吉が語った藤田嗣治作品の魅力 世界の絵画史上に名を残した藤田嗣治(レオナール・フジタ)の作品は、「乳白色の肌」と呼ばれる透明感溢れる肌の描写、日本画の面相筆(めんそうふで)を使って描いた美しく流れるような黒い輪郭線の線描などに独創的な特徴がある。[続きを読む]







藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

(参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
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(2015年9月)



新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

以前より展示室が狭くなった。
「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
階上の左右から見ることが出来なくなった。
照明の照り返しがきつい。
2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

などの声が上がっています。
(2014年2月)




 「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
(2013年8月31日)



 秋田県は、現秋田県立美術館(平野政吉美術館)を6月末日までで閉館にし、大壁画「秋田の行事」などの藤田嗣治作品を、昨年完成の新秋田県立美術館に移すとしています。
 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)を閉館することは、藤田嗣治と平野政吉の交友の歴史を閉じることと同じです。
 また、現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、藤田嗣治の数々の助言を採り入れ完成しています。
 藤田嗣治と平野政吉の交友の歴史、二人が残した文化を、後世の美術を愛好する人々、美術を志す若者、藤田嗣治ファンに伝えるためにも、現秋田県立美術館(平野政吉美術館)を閉館すべきではありません。
 心ある皆様、秋田県に、「秋田の行事」、藤田嗣治作品の移転を止め、現秋田県立美術館(平野政吉美術館)を閉館しないよう、訴えてください。
(2013年5月15日)



 秋田県立美術館・平野政吉美術館が閉館になれば、レオナール・フジタ(藤田嗣治)が教示した「秋田の行事」の最も良い展示の姿が見られなくなってしまうことになります。

 これは、美術愛好家、藤田嗣治ファン、美術を学ぶ若者たち、秋田県、秋田県民にとっても大きな損失です。

 ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような広い空間で観ることを提案し、美術館の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えるべきです。
(2013年5月15日)



お薦め記事
藤田嗣治の壁画「秋田の行事」が描かれた時代の背景 ~ 一体感を持つ「平野政吉美術館」
レオナール・フジタ(藤田嗣治)に大壁画「秋田の行事」を描かせた、秋田の傑人・平野政吉


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