TOP|藤田嗣治と平野政吉|風景|方針、予定|関連記事

※ リンクはフリーです

    

現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の丸い採光窓

 1966年(昭和41年)、藤田嗣治(レオナール・フジタ)は自らの画業の最後の仕事として、フランス、ランスで「平和の聖母礼拝堂」の制作に取り組んでいました。藤田はやがて自らが永遠の眠りに就く、この小さな礼拝堂の設計、壁画、ステンドグラス、庭石の配置、彫刻などを自らの手で行いました。
 藤田嗣治と永い交友のあった秋田の平野政吉は、藤田が礼拝堂の壁画制作に入る直前の1966年(昭和41年)5月に、二人にとって念願の美術館が建てられることになった報告、挨拶のために、パリ郊外のヴィリエ・ル・バークルの藤田の家を訪れました。
 その時の様子を平野政吉は、次のように語っております。

「藤田は、君代夫人に『大将が来たよう』と叫んで、私を迎えてくれた。『藤田美術館がとうとう建つ』と言う私に、藤田は『記念に、ぼくがミケランジェロに挑戦した絵を譲ろう』と言った。P1010426 平野政吉美術館(丸窓)800x600-新私はうれしくて、パリの街行く人に、だれ彼となくシャンパンをふるまった」
  ………
「私と別れ際、藤田は『美術館の屋根は、ランス礼拝堂(平和の聖母礼拝堂)のような採光の形式にしてくれ』と注文をつけた。私は、それを忠実に守った。平野美術館の特徴ある丸窓は、このためだ。藤田は、スケッチをくれた。これが、最後の対面となった」

(平野政吉「聞き書き わがレオナルド藤田」《1983年1月12日、朝日新聞》)

 この訪問では、美術館のこけら落としのために、秋田への訪問が招請されましたが、実現しませんでした。 
 終戦後、日本を離れ、1955年、フランスに帰化、1959年、カトリックの洗礼を受け、日本との告別を終えていた藤田が、再び日本へ足を踏み入れることは不可能なことであったと推察されます。P1010034_01 平野政吉美術館(丸窓、秋)800x600-新

 しかし、この時、藤田は美術館の採光の形式、さらに、壁画「秋田の行事」の展示の仕方を助言しています。
 また、秋田県内の財団法人発行の雑誌で、平野政吉は、宮殿造りのギリシャ式柱廊の美術館に丸窓をつけて画伯の心を忠実に表わしたと語っています。

 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の屋根にある自然光を採り入れるための丸窓には、藤田嗣治の最後の作品、「平和の聖母礼拝堂」に通じる、藤田嗣治(レオナール・フジタ)の尊い思いが込められていると言えるのです。


壁画「秋田の行事」の展示の仕方 … ◇秋田の文化遺産…平野政吉美術館 参照
藤田嗣治「秋田の行事」の構図と奥行き感、臨場感 参照






藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

(参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

(2015年9月)



新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

以前より展示室が狭くなった。
「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
階上の左右から見ることが出来なくなった。
照明の照り返しがきつい。
2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

などの声が上がっています。
(2014年2月)




 「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
(2013年8月31日)



 秋田県は、現秋田県立美術館(平野政吉美術館)を6月末日までで閉館にし、大壁画「秋田の行事」などの藤田嗣治作品を、昨年完成の新秋田県立美術館に移すとしています。
 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)を閉館することは、藤田嗣治と平野政吉の交友の歴史を閉じることと同じです。
 また、現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、藤田嗣治の数々の助言を採り入れ完成しています。
 藤田嗣治と平野政吉の交友の歴史、二人が残した文化を、後世の美術を愛好する人々、美術を志す若者、藤田嗣治ファンに伝えるためにも、現秋田県立美術館(平野政吉美術館)を閉館すべきではありません。
 心ある皆様、秋田県に、「秋田の行事」、藤田嗣治作品の移転を止め、現秋田県立美術館(平野政吉美術館)を閉館しないよう、訴えてください。
(2013年5月15日)



 秋田県立美術館・平野政吉美術館が閉館になれば、レオナール・フジタ(藤田嗣治)が教示した「秋田の行事」の最も良い展示の姿が見られなくなってしまうことになります。

 これは、美術愛好家、藤田嗣治ファン、美術を学ぶ若者たち、秋田県、秋田県民にとっても大きな損失です。

 ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような広い空間で観ることを提案し、美術館の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えるべきです。
(2013年5月15日)



お薦め記事
藤田嗣治の壁画「秋田の行事」が描かれた時代の背景 ~ 一体感を持つ「平野政吉美術館」
レオナール・フジタ(藤田嗣治)に大壁画「秋田の行事」を描かせた、秋田の傑人・平野政吉


関連記事
秋田県立美術館(平野政吉美術館)の閉館、大壁画「秋田の行事」展示室の閉鎖及び「秋田の行事」、藤田嗣治作品の移転について




このエントリーをはてなブックマークに追加 Add to Google My Yahoo!に追加